今の時代パワハラってあるの?新卒入社した会社で初パワハラを受けてしまった結果...

投資

今回は前回に引き続き私、私自身の経歴を書いていきたいと思います。

そして今回のテーマ!
「新卒入社した会社でパワハラを受ける」です!(笑)

「そうなんです。私はパワハラを受けていました!」と今なら笑顔で言えます。

大学卒業後、私は証券会社に入社しました。

高校卒業後の浪人時代にお金を稼ぐことの大変さを知り、お金に興味を持つようになりました。
それもあって大学は経済学部に進学しました。

そこで「投資」というものを初めて知りました。
「ただ働いてお金を稼ぐ以外に稼ぐ方法があったんだ!」とその時はめちゃくちゃ感動し、株式投資に一気に興味を持っていきました。

投資をやってみたい!と思ったものの、何も知らないのに投資することが怖く手を出せずにいました。

どうしたものかと考えた結果…
「そうだ。投資を学べる証券会社に行こう!」と進路を決めました。

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今考えるとめちゃくちゃ単純な理由ですね。(笑)
そして証券会社を受けまくり、何とか証券会社入社することができました。

正直、投資の知識はほとんどありませんでしたが、面接前に昨日の日経平均株価の終値と自分が上がると思った銘柄を書店で立ち読みした四季報から適当に探して、面接に臨みました。
この程度の準備で採用してもらえたのは、ほぼ奇跡です。

そして営業として辞令を受け、お客様の新規開拓をメインに投資について学んでいきました。

毎日朝、日経新聞を読み込み、日中はお客様先に飛び込みで訪問し、会社に戻りテレコールするという1日でした。

それなりにしんどかったりストレスがたまったりと大変でしたが、投資について知っていくことは、自分の今後の人生の役にも立つと思い楽しみながら働けていました。

しかし、1つだけ嫌なことがありました。
それが営業ロープレ」でした。

ロープレ自体は別に嫌ではなかったのですが、ロープレ担当の50代の先輩社員がめちゃくちゃ嫌でした。

こいつを当時あだ名にしていた「ゴメス」と呼ぶことにします。

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実はゴメスはパワハラで社内でも有名でした。

しかし証券会社は年功序列な風潮がまだ強く残っており、50代社員ともなるとベテラン扱いされパワハラに関しても誰も強く言えないような環境でした。

ロープレ中、「バカ!アホ!」だの、「お前は小学生か?」というフレーズを、ほぼ毎日言われ続けていました。

今思い出しも腹が立つ!ほんとぶん殴ってやりたいと何度思ったことか!
おっと熱くなりました。すいません。

特に真夏の外回り営業時に、社内ではクールビズと謳っていながらも「ジャケットを着て訪問しろ!」と強制されました。

そしてなぜか自分だけ(笑)

そして他の社員が「暑くないの?」と私に聞いてくると、私の近くにいたゴメスは何とこう言ったのです。

「こいつは鈍いから、暑さに対しても鈍いから大丈夫や」と。

「何言ってんだこいつ」とマジで怒りを覚えましたね。

そして入社して2年後、私がこの会社を退職するきっかけにもなった出来事が起こります。

その日は私が数千万単位の投資をしていただける契約を取ることができ、その社長様がいる会社に訪問するため社用車で向かおうとしたときのことです。

ゴメスはその時営業部長になっていたので契約書を取り交わす際の承認者として、付き添いすることになっていました。

そしてゴメスを助手席に乗せ、いざ出発しようとしたときに事件は起きました。

実はその時私はペーパードライバーで運転に関してほぼ初心者でした。

しかも社用車も古く、サイドミラーもエンジン起動後に自動で開くタイプではなく、手動で開くタイプのものでした。

そのことを私は知らず、ゴメス「サイドミラーってどのボタンで開けばいいですか?」と質問しました。

ゴメス「そこや!」と切れ気味にあごでそのボタンの方向を指しました。

しかし、私はどこにあるかわからず再度「どこですか?」と聞き返しました。

すると、思いっきり後頭部を殴られ「ここや!」と指をさして怒鳴られました。

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いや、最初から指さして言ってくれよ(笑)

しかし、この出来事で私の中の何かの糸が切れ、「会社辞めよう」と一瞬で決意しました。
この時はほぼ感情は消えていました。

怒りや悔しさ、悲しみ、呆れの何ものでもなく、「無」。

こんな感情になることあるんだと初めて思いました。

そして最終的に退職するのですが、退職するまでに私はある計画を立ててそれを実行してから退職してやろうと考えていました。その計画とは…

次回、退職までの計画…

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